IVXLCDM
2002年2月20日いじめられるヒトにはいじめられるに足る雰囲気や人柄がある。
所謂パーソナリティーの客観的固定化。
薬や精神治療は、その客観的固定化を打ち崩す目的を持っている。
逆に、その目的を達成させるために、個人の治療に際して
身近に接する人たちに対しても治療を要請することもある。
精神治療を必要とする患者を扱う場合、時として、
その患者本人ではなく、患者に深く交流のある身近な人達に
精神的な問題があることがある。
その場合、精神治療における最も有望な解決方法は
当人の耐性を上げることだけに留まらず、周りの環境の攻撃性を
下げることである。
無論、そのような方法には現実的に難しい。
精神治療における限界はそこにあり、どんなに患者本人の耐性が
上げられようとも、接してる環境云々で効果を剥奪し得るのだ。
【http://plaza15.mbn.or.jp/~report/isyanohonne.html】
日本では医者は患者を商売のネタにしててもマスメディア等に
気付かれない保護膜が大きく備わっている。
だから私欲がてらの処方箋が大体を占めている。
病院は悪質な保険会社と同じ、掛け捨てで、
心の満足を提供している一方で
あくどく金銭をふんだくっている悪質な金取りである。
確かに良心的な医者も居るだろう。そのことまで打ち消す道理はない。
ただ恐らくとして、
今の時勢、大いに増えているダメ教師、
犯罪を犯す教師の割合くらいに、
医者もまた同じ割合ほどにダメ医者が居ると考えても
少しも大げさではないはずだ。
教師も医者も、大学で資格を取得するという共通点があるからだ。
ある教科を教えられる資格を得るには、
単位を充足させ、おもてづらに良心的人物を装えばいい。
教育学部は医学部と違い、偏狭的な人間が少ないので
その分育つ教師はまだ望ましい人物が教師をする割合が
多いかもしれない。
医学部に在籍経験のある人は知ってるだろうが、
教える側の教授は、半分以上が偏った人格の持ち主である。
自分の努力は学会論文などや研究に押しやり、
授業では学生に苦労を押し付け、時には利用さえする。
大学の体制自体が、偏りを助長するような空間なのである。
その空間に長く留まれば留まるほど、教授として長く在籍するほど、
人格が危険因子を伴うようになる。
その毒に汚染されずに立派な医者になってくれる人は大いに有難い。
しかし毒自体を消さない限り、ダメ医者は消えることはない。
太古の昔は万人が医者であった。自分で薬を作り、
多少の病気や怪我は自分で治した。
医者という仕事が確立されてからは、自己防衛機能が低下した。
その結果、本来は自分で解決すべき精神的な事情も、
自分自身だけでは解決できない人間へと退化してしまったのである。
所謂パーソナリティーの客観的固定化。
薬や精神治療は、その客観的固定化を打ち崩す目的を持っている。
逆に、その目的を達成させるために、個人の治療に際して
身近に接する人たちに対しても治療を要請することもある。
精神治療を必要とする患者を扱う場合、時として、
その患者本人ではなく、患者に深く交流のある身近な人達に
精神的な問題があることがある。
その場合、精神治療における最も有望な解決方法は
当人の耐性を上げることだけに留まらず、周りの環境の攻撃性を
下げることである。
無論、そのような方法には現実的に難しい。
精神治療における限界はそこにあり、どんなに患者本人の耐性が
上げられようとも、接してる環境云々で効果を剥奪し得るのだ。
【http://plaza15.mbn.or.jp/~report/isyanohonne.html】
日本では医者は患者を商売のネタにしててもマスメディア等に
気付かれない保護膜が大きく備わっている。
だから私欲がてらの処方箋が大体を占めている。
病院は悪質な保険会社と同じ、掛け捨てで、
心の満足を提供している一方で
あくどく金銭をふんだくっている悪質な金取りである。
確かに良心的な医者も居るだろう。そのことまで打ち消す道理はない。
ただ恐らくとして、
今の時勢、大いに増えているダメ教師、
犯罪を犯す教師の割合くらいに、
医者もまた同じ割合ほどにダメ医者が居ると考えても
少しも大げさではないはずだ。
教師も医者も、大学で資格を取得するという共通点があるからだ。
ある教科を教えられる資格を得るには、
単位を充足させ、おもてづらに良心的人物を装えばいい。
教育学部は医学部と違い、偏狭的な人間が少ないので
その分育つ教師はまだ望ましい人物が教師をする割合が
多いかもしれない。
医学部に在籍経験のある人は知ってるだろうが、
教える側の教授は、半分以上が偏った人格の持ち主である。
自分の努力は学会論文などや研究に押しやり、
授業では学生に苦労を押し付け、時には利用さえする。
大学の体制自体が、偏りを助長するような空間なのである。
その空間に長く留まれば留まるほど、教授として長く在籍するほど、
人格が危険因子を伴うようになる。
その毒に汚染されずに立派な医者になってくれる人は大いに有難い。
しかし毒自体を消さない限り、ダメ医者は消えることはない。
太古の昔は万人が医者であった。自分で薬を作り、
多少の病気や怪我は自分で治した。
医者という仕事が確立されてからは、自己防衛機能が低下した。
その結果、本来は自分で解決すべき精神的な事情も、
自分自身だけでは解決できない人間へと退化してしまったのである。
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