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2002年2月19日
勉強になるといくらか感じられるような番組を見ることで
少しは知識が身に付いただろうなと満足顔で過ごす。
大概の場合は左の耳から右の耳へ情報が素通りしていってるのに
そのときだけ得られたことの満足感に酔わされる。
単純な人間は多いもので、目先のことでばかり判断の糧にしている。
政治のことにしても、目先でしかモノが考えられないで
「あれはよくなかったと思います」と深く事情を理解しないで意見を述べるヒトが居る。
メディアは一見して利口そうだが実際は脳みその軽い、
扱いやすいヒトを選んで一般の意見と称して公開してみせる。
メディアは常に視聴者の上手を行くものである。
心理作戦で視聴者を洗脳することが通例であり
メディアの毒に慣れ親しんだ視聴者の一部が単純な人間へと成り代わっていくのも
当然の道理である。
料理番組でもないあるテーマの番組において、
食べ物を食させるシーンを盛り込むことが最近多々にある。
これも狙ってのこと。
番組開始時間の繰り上げ、CM明けの同じシーンの2度出し、
発言の字幕出し、CM前のモザイクかけ、等など
せこい手でひきつけようとする。
あと、今書いたのもそれだが、パクりを流用する方法。
単純にあるのが昔の映像を掘り出したり、外国で放送されたものを使う方法。
アニメの実写化もパクりに含めていいかもしれないが、
これは冒険であり危険がつきまとうのでパクりの部類に
入れないほうがいいかもしれない。
内容的には少ないのに、言い方を変えたりビジュアルで満足感を持たせる方法。
ストックをもたせるために別のものを引っ張り込んで誤魔化すのも
それと似た感じがある。
歌の番組なのに司会者同士の会話のやり取りが混じるとか
昔の映像を使い回すとか、ただ純粋に音楽を聴きたい人には
甚だ鬱陶しい状況が出来上がったりしている。
その一方で、ただ音楽だけを流してくれている番組も現れてはいるのだが・・・。
ヒトはイイトコドリをしたがる。それは普通のことである。
見ていて心地よいと思える時間がまずまず過ごせれば、中身の情報の量など
さして気にならなくなってしまうものだ。その心地よさがたくさん情報を得たと
勘違いさせる。そう勘違いさせるように仕向けているメディアの行為にハマってる。
また、ヒトの記憶にも限度がある。記憶するには記憶したいものを
何度か繰り返し再記憶する必要がある。
ところが、メディアの仕掛けた、同じシーンの2度出しなどの繰り返しの無駄が
ヒトの記憶に干渉してしまう。
CM前に期待させる、CM後に同じシーンでまた期待させる、で結果は?
その結果を、数日後には忘れてしまってたりする。
期待ばかりに意識が取られて、結果がどうだったかを記憶するスペースを
奪われる。これはTVづけになってるヒトにはよくあること。
また、ある特定の有名人物に対しての評価を片面だけ強調したものを
見せられ続けると、自分の意見が偏って定着する恐れがある。
とりわけ、加害者と被害者、という2つの立場で物事が進む場合には
メディアの植え付け自体、加害者=悪、被害者=善、というイメージが
水面下に備わることがある。
一度、加害者=悪、などという意識が固まってしまうと
或いは「なぜ犯人がそのようなことをしたのか、心情が全然分かりませんね」
等と全員一致にコメントされると、
その他の似通った事件においても深い考察なしに善悪で結論づける
早急な判断を行ってしまう。
脳みその軽いヒトへと変えられてしまうのである。
人任せで優柔不断なヒト、自分の考えが1番主義なヒト、それよりかは
へりくつやで少数派につきたがりやのほうが厄介だけど、いい。
本当に知りたい情報があれば、自分で調べるのが一番だ。
ヒトから与えられて満足してるのも悪いわけではないが、
それが一番正しいんだと勘違いしないよう、
欲しいものは、最後は自分で取りに行くのが
脳みそを軽くしない、地道な方法だと言えるだろう。

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